神聖なアイドルアート

3 最小読み取り · May 17, 2022

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神聖なアイドルアート

古典的文学作品に神の具現化におけるタンカをきめ細かく指定しています。タンカとは神様の体形の比率、大きさを数字化により細かく指定してあげた決め事・数式であります。とはいえ、世界中の仏師、アーティストの作品を比較すると思わぬほど違いが出ています。モンゴルの仏教美術もどこよりも目立つユニークな特徴は、更なる細かい熟練により発達したのです。

中でも近代の仏教美術の根を下ろしたジェプツンタンパ1世(17世紀)の作品が目を奪います。彼の彫刻作品では、モンゴル人の個性、外観、そのニュアンスも明確に表示されています。いわゆる母の気持ちとモンゴル女性の美しさを神のように礼拝し作ったと言われる「多羅菩薩」彫刻はその具体例であります。

仏教学の幅広い意味を含む「10の知性」を「大5知性」と「小5知性」と分ける。大5知性の一つは、仏教美術の具現化知性であります。この具現化知性を「普通物体具現化知性」と「最高物体具現化知性」と分岐します。今日のこの記事はまさにここで示す仏教美術の「最高物体知性」について語ります。この知性は、さらに卒塔婆を作る「仏像制作アート」、宗教書を作る「仏典(指令)制作アート」、建築やその他物体を作る「欲望制作アート」と分けます。

仏像制作アートにタンカを必ず遵守し作る理由は、仏像そのもの自体がいわば「見る本書」なのです。偶像には仏教哲学の基礎概念を象徴的に表現し地道に作り上げます。簡単にいうと、宗教書に記載された各種内容とその関係性を読書者に理解させるために作られた実体化したアートであります。普通の人に神様、仏教に詳しい人には知性の複合体なので、その仏像に対してお祈りするのは知性に対しての敬意、瞑想の一歩前に行う動作であります。

仏典制作アートは、何よりも非常に美徳である故にいわゆる仏陀の作品はそれよりも敬意を得ることはありません。何故なら、本当の信念は仏典そのものしか託されていないと非常に重要視されています。モンゴルは昔より教典を崇め、「9つの宝物」で手掛けます。使用するのは、金、銀糸で縫い、文字一つずつ宝石で記し、更にその文字の上に金、銀で飾る、あるいは独特な木材で彫刻する、珍宝を墨にし書くなど様々な方法が使われています。また、ページの上部に神の存在を特別なメタルで制作し、教典を美化したのも多いです。

教典を木材、鉄筋、銅など様々な種類の凸版を用い印刷していました。また、書道のあらゆる方法も使われてたのが分かります。5.5cm四角紙に本一冊を記したことも単なるアートとしてではなく、技術的にもどれほど発達してたかを表明してくれます。その本が現在モンゴル国立センター図書館で保管されており、読みたい場合は虫眼鏡を使うそうです。

欲望制作アートは特に建築業界で主に繁栄しました。馬との日常習慣が深いモンゴルの都市建設は実はHunnu時代から始まります。現在まで発見された一番大きいお寺はカラコルム市に(13世紀)あったことが考古学調査で分かりました。16世紀に仏教が3回目に繁栄したとき、数多くお寺、僧院が建設されたのです。

第5ノヨン・ホタクト・ダンザンラブジャーのゴビ砂漠に建設したデルゲレフ寺は近代的な暖房システム、上下水道システムも整備されていました。モンゴルのお寺はゲル形、ブース形などの種類があり、建築材料として石、レンガ、木材以外にもいろんな種類の材料が使用されてた。大きなお寺が建設されるのと同時に周辺にセラミック、石、レンガ工場が建てられてた。従って、そのお寺ごと自分たちの独特のある偶像アートスクールが発展してた。

残念ならが1939年に起きた旧ソ連による抑圧時代に1000ほどのお寺が破壊されました。それと一緒に長期間蓄積された知識、ノウハウを持ってた遺産とも言える様々な教典やそれを作ったその坊さん自身をも一気になくしました。当時は小さめのお寺は4,    5つ位僧院を持っており、偶像も教典もそれなりの多くありました。だが、このように偉大に蓄積されたかつ基調に保管されてた遺産を外的要因でどれだけ強制的に破壊しようとしてもまだまだ、取り残され引き継がれてる。現在に継承された、これらの遺産はモンゴルの仏教美術が発展がもっとも高点に辿り着いてたともいえるでしょう。

1990年以降モンゴルの職人の努力によってもう一回仏教美術、偶像アートが発展しています。その中でG・プレブバト仏教アーティストの役割が非常に大きいです。彼が創設したMIBA大学では、現在まで84人の職人が誕生しました。

G・プレブバトは弟子たちと1996年に高さ3.2メートルの聖観音様のリストアに手掛けるなど仏教関連アートの復興に大きく貢献したのです。彼が調査しまとめた各種資料が現在の偶像アートの基礎規則となっています。

トゥブ県のボルノール村に建設したアグラグ・ブテール神社は国内外の観光者、巡礼者の足を運ぶ場所となり、モンゴルでの仏教美術の発展の立ち位置を示した重要な施設と評価されています。

Batnasan.G